
今日の「20世紀アメリカ文学」はHemingwayの"A Clean Well-Lighted Place"を読みました。
In the day time the street was dusty, but at night the dew settled the dust and the old man liked to sit late…
It is awfully easy to be hardboiled about everything in the day time, but at night it is another thing.
昼間はハードボイルドでいるのは簡単なことだけど、夜になるとそうはいかないんだ。ということですが、"A Clean Well-Lighted Place"のカフェも「夜」には特別な意味がありそうですね。昼間のホコリっぽい乾いた場面から、湿気が出てくる夜ともなると、そのときの気分はどうなっていくのでしょうか?きっとそういう夜になると心に傷を持った人たちがカフェの明かりに吸い込まれるように集まり、誰かとコミュニケーションをするわけでもなく自分の心の傷がいやされるまで滞在する。そこには現実的な時間をも超越した独特の時間が流れていることでしょう。
カフェに目を転じると、若いウェイターは時間ばかり気にして早く帰りたくて仕方がない。一方で年長者のウェイターは不眠症ということもあり、時間という枠組みから逸脱している。精神世界の中の"nada"を追い求めながらカフェを開き続ける。そこは清潔で明るく落ち着く場所でなければならない。
少しニュアンスが異なりますが、"A Clean Well-Lighted Place"とCarson McCullersの"A Tree, a Rock, a Cloud"( The Ballad of the Sad Cafeに所収)を読んでみるとおもしろいと思います。どちらもカフェを舞台にしながらも、そこに流れている空気、雰囲気はどことなく感傷的であるといえるでしょう。
来週は2回目のレポート提出になります。皆さんのレポートを読むのを楽しみにしています。
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